大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

“げばす”(失敗する)という動詞は、どのような語源とする説が主流か

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本日2006.7.12の中日新聞HPによると 「ひだニュース」編集長の丸山肇さんの飛騨にまつわる雑学クイズ集 「飛騨国検定第一集」4択式で全300問 が刊行されました。 表題はその例ですが、うーむ筆者が知る限りは“げばす”の語源情報は 飛騨市公式HP記事 の(下馬する=落馬する⇒失敗する)説のみです。 つまりはこれが正解でしょうか。

ところがですね、うーむ私は考え込んでしまいます。 納得できません。という事で例によって佐七節をひとつ。

さて落馬といえば、共通語です。 誰でも意味はわかる、馬鹿丁寧にも馬から落ちて落馬した、という人もいる。 一方、下馬という言葉は古語辞典にある言葉、つまり現代語ではありません。 下馬のそもそもの意味は、馬からそうっと、ささっと上手に降りること、特に
(1)貴人の家の前を通り過ぎる時、
(2)道で貴人に出会った時、
(3)また社寺の境内に入った時など
にささっと馬を降りて馬のたずなを引き馬と共に 歩く行為を言うのです。言わば上代における馬乗りの大切なエチケットと いう訳です。

賢明な読者の方はもうお気づきですね。つまり下馬するという事は、 落馬しないで上手に馬を降りるという意味です。 下馬するという事は実は落馬しない事 と言い切ってもいいかも知れません。

ですから、(落馬する⇒失敗する)という部分のみ は誰でも納得出来る説明でしょうが、(下馬する=落馬する)説は どう考えてもおかしいのです。ねえ、げばいた話でしょ。 げばすの語源はおそらく他の言葉でしょうよ。

まだまだ続く佐七節、あるいはこうも考えられるのです。 下馬するべき所で下馬しない事こそとんでもないエチケット違反、 つまりはげばいた事でしょ。 ですから飛騨市公式HP記事は誤った説を紹介していると佐七は主張したいのです。 佐七が国民の皆様に問う、実は落馬は関係なかった
(下馬せず(=つまり馬乗りのエチケットを欠く)⇒げばす(=つまり失敗する))
という事なのでしょう。私、ふふふこの論理的説に自信あり。しゃみしゃっきり。

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